無事に大学院を修了しました
先週末、無事に大学院を修了しました。
雨の中、ひとりひっそり学位記を受け取るため、大学に足を運んだら
教室には先生方だけでなく、なんと同期のみんなが大勢いたので
入り口から中を見たとたん、頭が真っ白!に。
内緒でサプライズのお祝いを、計画・実行してくれたとのこと。
私に見つからないよう、校内ではエレベーターを使わず
階段で昇り降りしていたという同期もいて。
まったく予想していなかったので、本当にビックリしました。
一生モノ。それは人とのつながり
たくさん写真を撮り、花束をもらい、その後乾杯しに行き
最後の最後までカウンセリング学位ならではのあったかく幸せな1日で
そのことをFacebookに投稿したら
ご自身も以前、社会人大学院で学ばれたというFPの大先輩が
「学位もですが、お仲間も一生モノですよ」
とコメントを下さいました。
進学前の私だったら、そうなの?と、あまりピンと来なかったと思いますが
今ならその意味がよく分かります。
この2年半はHPやブログ経由でも、たくさんの方からご協力や励ましを頂きました。
本当にありがとうございました。
プロセスは常に途中
先日読んだ、千葉雅也さんの『現代思想入門』
[wpap service=”amazon” type=”image-text-h” id=”B09V1134H7″ title=”現代思想入門 (講談社現代新書)”]
その中に
「すべてのプロセスは途中で、本当の始まりや終わりはない」
とありました。
究極の終わりは「死ぬとき」ですが、
それまではあくまですべてが「仮固定」「準安定」の状態だと。
フランスの哲学者、ドゥルーズに関する記述です。
生と死も、死の瞬間ではっきり分かれているように見えるけど
そうではなく常に混じりあっている、ともあり。
老いは、死の予兆ですよね。
だから白髪やしわ、老眼、体の痛みがある私は
常に生と死が混じっている状態で生きてるんだなあ、と。
心身ともに100%万全な状態には、もう二度と戻れませんし。
でも、プロセスが常に途中だということは
大学院の修了も、これでミッションクリアで終わり!ではなく
まだまだ道の途中ということになります。
今後はもっと、自分の中の死の割合が増えてゆく。
それでも自分の可能性を探しながら、やっていけたらなと
本の内容を思い出しながら、感じていました。