大学院を修了した後も、研究を続けていましたが
先月、ようやくひとつめの学会に論文を投稿し、ひと区切りがつきました。
論文の完成・投稿
インタビューデータの逐語記録は、約67万字と膨大で
しかも、修士論文用の分析は、時間的制約と私の力不足で不十分だったので
修了後は、M-GTA研究会での発表・ご指導をもとに、一から分析をやり直し
指導教官にも引き続きご指導いただきながら
1年以上かかって分析結果をまとめ終わったのが、昨年の冬。
その後、投稿先の学会を検討しつつ、論文を執筆しはじめ
やっと先月、論文の投稿(単なる提出)にいたりました。
「自分のため」だったらやめてた
インタビューからは既に3年もたってしまいましたが
その内容は、実務上、私が感じていたこととの共通点も多く
それを、単なる私見や体験談に終わらせず
何とかデータに基づく「論文や理論」の形で表に出したい!という思いがあったので
その肩の荷を少しだけおろせました。
でも、これが「自分のため」だけだったらとっくにやめてたと思います。
お金にも、地位にも名誉にも、腹の足しにもならないし
心身の健康上も、絶対によくない(更年期!)
ただ、何かをやろうというモチベーションは
もう「自分のため」だけでは、仮に沸いても持続しなくなっています。
(物欲や、向上心や成長欲で乗り切れた、2、30代の頃がなつかしい…)
この研究も、実務と研究の両方に力を注いだ私にしか見えていないことは
私が形にする責任がある、という気持ちが強かったから。
人生の後半は
「自分のため」を超える社会的意義や社会的責任を感じられないと
こういうパワーは沸かないし、モチベーションも続かない気がします。
なので、心理学の勉強を始めてから、足かけ6年弱になりますが
飽きっぽい私が区切りと思えるところまでようやくこられて、ほっとしています。
でもアクセプトまでは険しい道のり
でも、この後の道のりはさらに険しく
既に、筑波の博士後期課程に進学したり
海外の学会に投稿しているような、スーパーマンぞろいの友人たちに聞いても
投稿→リジェクト(不採択)
→別の学会に投稿→リジェクト(不採択)
→別の…が続くとのこと。
(もちろん、ちゃんとアクセプトされたスーパーマンもいます)
凡人の私の作文なぞ、受稿(ひとまずの受け取り)すらしてもらえないかも。
ましてや、その後、査読者とのやりとりを経て
アクセプト(採択)してくれる学会があるのか。
可能性は低そうですが…
ただ、先日、著名な経営者さん(70代)の講演を対面で聴く機会があり
その会社には、誰もが知っているビジネス上の大失敗がいくつもありますが
「失敗のない方が恥ずかしい」
「挑戦しない限り、失敗しないのだから」
「みんな、失敗したら終わりだと思ってるけれど、失敗はただのはじまり」
と、断言していらっしゃたのが印象的で
公私ともに、私ももっとやりたいことを存分にやり
正々堂々、失敗しようという気持ちがムクムク沸いてきました。