問題児の取り分を減らしたい、は正義?
「特定の誰かの取り分を減らしたい」という相談は多くて
・ 遺言を書き、取り分を法定相続分→遺留分に減らす
・ 多くあげたい人だけに生前贈与する、保険金の受取人にする
・ 多くあげたい人の近親者を養子にする
もちろん方法はいろいろありますが
減らされる立場の人=家族内での「問題児」だと
一方的に他の家族が決めつけてない?と、気になるときがあります。
状況を聞く限り、確かに取り分を減らすべき理由はありそう。
でも、そのすべての責任が
問題児「個人」だけのせいとはいえなさそうなケースもあるからです。
問題児はあくまで仮
臨床心理学やカウンセリングの世界では
問題行動や症状を抱えている人のことを、一般的に「クライエント」と呼びますが
家族心理学や家族療法では、あくまで
「IP」(Identified Patient:患者とみなされた者)と呼ぶんですね。
「みなす」とは
そうではないものをそうだと考える、仮置きする、という意味です。
なのでたとえば、成人した子どもが引きこもりになったら
それは一見、その子ども「個人」の問題にみえる。
でも実は「家族全体」が抱えている様々な問題の不具合が
たまたま症状となって、その子に現れているのかもしれない。
そう考えるので
家族全体にちょっとした問題がありそうなのに、ひとりに責任を押し付ける的相談に
私は違和感があるのかもしれません。
個人ではなく家族ベースで理解する
「家族」は、単なる「個人」の集まりじゃなく
夫婦、親子、兄弟といった小さな「ペア」や「関係性」の集まりで
それぞれがそれぞれに影響を与えあっているから
原因と結果は、直線ではなく円になり
夫婦不仲という不具合の症状が、子どもの不登校という形で現れたりします。
それに親も子も、自分が「育った」家庭での不具合は
自分が「作った」家庭にもどうやったって影響しちゃうし
(だからこそ逆に、反面教師を心がけている方も多いですが)
世の中的に最近は、自己責任論が行き過ぎだと感じるので
相続に限らず、その人が適応的か不適応の責任を、個人ベースだけじゃなく
その人を支えている「家族」で考える視点がもうちょっとあってもいいんじゃない?と思います。
ジョイニング・多方面への肩入れ
ちなみに家族療法には
支援者の技法として「ジョイニング」と「多方面の肩入れ」というものがあり
「ジョイニング」とは
支援者がその家族のコミュニケーションスタイルや交流パターンに合わせて対応すること
「多方面の肩入れ」とは
支援者が家族内の特定の1人ではなく、家族全員と公平な関係を結ぶこと、です。
弁護士は利益相反になってしまうので、「多方面の肩入れ」は無理ですね。
通常、特定の相続人1人の代理人にしかなれません。
ただ、税理士は立場上、相続業務で
「ジョイニング」や「多方面の肩入れ」的なサポート、どちらも自然にやっている気がします。