デパ地下で店員さんに怒鳴る人
晩ごはん用の肉や魚は、仕事帰りにデパ地下でささっと買うことが多いです。
その日の夕方は、レジも混んでいました。
多分みんな「早く帰ってゴハンにしなきゃ」と。
そのとき、私のすぐ前で会計中だった70代くらいの男性が
若い女性の店員さんに「〇〇カードはお持ちですか?」と聞かれ
「うるさい!ぐずぐずしないでさっさと詰めろ!!」
と、突然大声で怒鳴り、周りがシンとなりました。
店員さんは「すみません!」と言って袋に詰め
男性が立ち去り、店員さんと
「大丈夫ですか?」「大丈夫です。申し訳ありません」と言葉を交わしましたが
私もしばらくは、ドキドキが収まりませんでした。
カネに物を言わせる人生は悲しい
この男性は、社会的地位の高い方なのかもしれません。
でも、「お金を持っている」=「自分は価値のある人間だ」というのは
壮大な思い違いです。
仕事の社会的価値と報酬の多寡は比例しないし
(エッセンシャルワーカーが典型例)
お金が、自らの稼ぎじゃなく
親の財産や配偶者の稼ぎならなおのこと。
というか、そもそもお金が人の価値じゃない。
それがその年齢になっても分からないのは、気の毒です。
頭で分かっていても、行動が伴わないなら同じこと。
カネに物を言わせる人生は、悲しいと思います。
お金を使ったコミュニケーションは幸せを遠ざける
でも、誰でも多かれ少なかれ
「お金があること=価値の高いこと」だと盲目的に思い込んでいないでしょうか。
私もかつては、家計の社保・税負担に辟易し(手残り少なすぎ)
「納税額に応じた分、選挙権もくれたらいいのに」くらいに思っていました。
正直今も、そう思うことがゼロじゃないです。
でも、先日ある本で
「お金を使ったコミュニケーションが、ウェルビーイングを遠ざける」
という研究結果を見て。
人は「孤独ではない状態」を幸せだと感じるので
人とのつながりがリアルか否かを問わず
社会的な自分、周囲との関係の中にいる自分に、幸せを見出すそうです。
つまり、自分がよい状態でいる=ウェルビーイングのためには、他人との関係性が大事。
でもお金がある人は、人も物も「カネで買えばいい」という発想が強くなり、人との関係を軽んじる。
だから「お金は人間関係の終わり」だといえる、と結論づけられていました。
Finance(金融)という言葉の語源になっている「fīnis」は
ラテン語で「終わり」を意味するそうです。
お金さえあれば、いくらでも孤独でいられる。
レジで怒鳴った男性は、実は常に孤独なのかもしれません。
まとめ
お金はウェルビーイングを遠ざける。
そう考えると贈与も、特に親の側ですが
子や孫への金銭的援助は子の歓心を買うことには必ずしもならず
(感謝されるのは一瞬)
逆に自らの孤独を招く可能性もありそうです。
家族関係ではなく、カネの話になってしまうので。
例の男性が
妻に「誰のおかげで食えてるんだ!」とか
子どもに「誰のおかげで○○ができたと思ってるんだ!」とか
言っていないことを祈りつつ…
カネに物を言わせる生き方は、孤独への片道切符ですから。