事故や病気で10代や20代の人が亡くなった。
そう聞くとかわいそうだと心が痛みます。
でも、80代や90代の方の死に対しても鈍感にならないでいたいです。
コロナが怖い理由は「死」
コロナの影響がどこまで広がるのか、続くのか。
程度は違えど、みんな今後の生活や仕事が不安だと思います。
反面コロナは、普段気づけないことに気づけたり
忘れがちなことを思い出すきっかけにもなっています。
そのひとつが「死」。
誰しも生き続けたい、生への執着があるという事実です。
仕事ではいつも「あなたが死んだら」の話をしてた
私が外出や人との接触を減らす理由は
人に感染させたら大変だという気持ちももちろんあります。
でもやっぱり自分が死にたくない、家族にも生きていてほしい、
友人や知り合いも無事でいてという、自分中心の思いの方が強い。
だって、この世に死にたい人なんていない。
なのに私はいつも遺言や相続税の仕事で「あなたが死んだ後」の話をお客さまにしています。
相手がどんなに聡明で家族思いでも、進んでやりたいことのはずがないのに・・・。
心理学を学ぼうと思ったきっかけは、そんな相続ビジネスへの迷いや戸惑いからでもありますが
そもそも、相手の気持ちに寄り添いながら仕事をしたいといいながら
相手が死ぬ前提の話を、どこまで相手の思いを汲みとりながらできていたのかな、と。
「まだずっとお元気なはずですが」とか
「これから夫婦でたくさん楽しんで、お金をいっぱい使うのが一番の相続税対策ですが」と
口ではいいながら、平均余命や既往症をもとに相手の死ぬ時期を想定した話をしていたのですから。
「誰を救うべきか」医者が決められる?
今週号の日経ビジネスに「医療崩壊、救うべき人を誰が選ぶ」という記事がありました。
世界中で人工呼吸器が不足している今、たとえば
・ もう人工呼吸器はひとつも残っていない
・ 患者A 65歳・リタイア済 既に人工呼吸器をつけているが、助かる可能性は低そう
・ 患者B 35歳・教師 新たに病院に運び込まれた。今人工呼吸器をつければ助かる可能性が高そう
この状況で、医者はAの人工呼吸器を外しBにつけるべきか?
イタリアは現在これに近い状況だそうで
総じて年齢を基準に、衰弱した高齢者より若くて比較的健康な患者に人工呼吸器を適用するとのこと。
その選択は確かに合理的です。
でも、人工呼吸器を外されたのが自分の親兄弟や夫なら、たぶん私は納得できません。
年齢基準じゃなく、トイレットペーパーやマスクの列のように早い者勝ちと考える人がいれば
余命=逸失利益で取捨選択するなら、稼ぎも考慮しろと主張する人だっているかもしれません。
高齢者なら亡くなってもやむを得ないと、言い切れる人がどれだけいるでしょう。
私にできるのは、せめて死への恐怖はみな同じだと、忘れずにいることくらいです。
ひとりごと
外出自粛で生まれた時間は、もっぱら料理や読書に費やしています。
コロナ後の人生後半を考える時間にも。
あたらしいこと
skypeで飲み会
Zoomでセミナー受講
Zoomで雑誌の取材
ホットクックでイワシの柔らか煮
ヘルシオでポークソテー
つくしの寝言