親が子に遺産を残す動機は、日本人が一番利己的だという調査結果を読みました。
難しいとはいえ日本人にはもう少し、die with zero的視点が必要なのかもしれません。
遺産動機の国際比較
先日、ゆうちょ財団が発行している『季刊個人金融』という冊子で、面白い記事を見かけました。
2009年に大阪大学が、親が子に遺産を残す動機について
アメリカ・日本・中国・インドの4か国でアンケート調査を行った結果です。
回答結果を「利己主義モデル」「王朝モデル」「利他主義モデル」の3つに分け
・ 利己主義モデル:親の世話をした子に多く、または全部残す
・ 王朝モデル:家や家業を継いでくれた子に多く、または全部残す
・ 利他主義モデル:(親の世話や家を継ぐかに関係なく)子の全員に均等か、稼ぐ能力の低い子に多く、または全部残す
国別に分析したところ
利己主義は「日→中国(農村部)→中国(都市部)→印→米」の順で多く
利他主義は「米→印→中(都市部)→中(農村部)→日」で多かったとのこと。
つまり、日本人の親の遺産動機が最も利己的で、逆にアメリカ人が最も利他的。
さらに、王朝モデルも「中(農村部)→中(都市部)→印→日→米」の順で多く、日本は下位で
日本人は、イエや家業を大事にする民族ともいえないという調査結果でした。
日本の親子は愛情ではなくお金の絆が強い
一般的にはアメリカより、日本の方が「家族の絆」が強いと思われがちです。
でもこのデータによれば
日本の親子は「愛情」ベースの絆より、「お金」を媒介とした絆の方が強いことになり。
日本では、親→子への金銭的な援助期間が、アメリカより長く。
成人しても子は実家で暮らし~結婚費用~マイホーム取得資金~孫の学費と親の援助を受け続けます。
それを思えば
親が自分の老後の面倒をみた子に遺産を残すという考えは、利己的とはいえ理にかなっています。
民法の「寄与分」だって、まさにその考え方ですし。
ちなみに記事では、米・印が利他的、日・中が利己的な理由として、宗教心の差を挙げていました。
確か以前、寄付文化が日本に根付かないことや、心的外傷後成長(PTG:Posttraumatic grotwh)の下位因子で日本人にはスピリチュアルな変容がないことは、宗教心のない影響だと読んだ記憶があります。
なんかさみしいような、ですが。
die with zero、ゼロで死ね
DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール
だとすると、この本の内容も、アメリカより日本の方が、賛否両論ありそうです。
タイトルが「ゼロで死ね」ですから、否が多そう。
最後に頼れるものが、家族の愛情ではなくお金だと考えている人が多いなら、なおのこと。
でも確かに、老後まで潤沢な財産を持ち続け
自分の介護とバーターに、子に残す遺産の多寡を決めるのではなく
わが子が必要としているときに、自分が援助できる額を援助する
それが本来、愛情ベースでの親子の絆なのかもしれません。
コストである贈与税はさておき。
本には、寄付も死後の遺贈寄付じゃなく今渡す。そうすれば、より早く世の中をよくできる。
そう書かれていますが、日本人にとっては難しいし、厳しいですね。
高齢者の単身世帯や夫婦のみ世帯が多く、社会的紐帯が弱いことも考えると。
ただ、「より多く残す」ではなく、「より有益に使い切る」。
この視点は、誰もが充実した人生を送るため、今後より必要になると思います。
お金そのものや、お金を絆とした親子関係だけを重視するのではでなく
愛情ベース、信頼ベースのゆるく浅い絆を、いろいろな人と結ぶ生き方を心がける点からも。
まとめ
生前贈与がやたら奨励される12月。
遺産を残す動機が日本人が一番「利己的」だという調査結果や『DIE WITH ZERO』を読み、節税以外の視点から、親子とお金の関係について考えてみました。