相続専門で独立予定の方から
「飛び込みで一見さんの相続を引き受けるのは、怖くないですか」と聞かれました。
一見かどうかはともかく、税理士になりたてのころと今とでは
相続業務の「怖さ」の意味が、だいぶ変わった気がします。
どう変わったのか、考えてみました。
※車には、昔も今も初心者マークをつけてます
以前は、知識不足・経験不足が怖かった
顧問先や紹介でない限り、相続業務は基本単発で、お客さまは一見さんです。
HPや本経由で「はじめまして」のご依頼も多くあります。
おつき合いする期間は、数か月~2,3年と短めですが
ヒアリング不足は申告もれに直結しますから、早めの信頼関係構築が欠かせません。
ただ、20代の勤務税理士時代は、「事務所」の看板で相手に安心感を与えられ
自分が経験不足でも、熟練の上司がいるので
誠実に取り組んでさえいれば、それでお客さまからの信頼は得られました。
看板がなくなった独立後は、年齢や社会的地位の高いお客さまに信頼されるには
専門分野の知識くらいは万全でないと、と入念に準備し
さらに「あれを聞かれたら」「これも聞かれたら」と
本のコピーやファイルを大量にカバンに詰めて出かけていました。
今ならだいぶ経験も積んだ(=ずうずうしくなった)ので
その場で、ささっとググってあたりをつけるか
自分が知らないことなら、ニッチな情報でしょうから
「後で調べてご連絡します」で済む話だと、割り切れるようになりました。
今怖いのは、家族という人の根っこに触れること
50歳に近づいた今、一番怖いというか、怖いと肝に銘じているのは
「家族」はすべての人のアイデンティティの根っこ、だということです。
相続業務でひとたびご縁があると、その根っこに簡単に触れてしまう可能性があります。
家族の問題=人生の大問題、ということも多く
たかが一見の税理士で、家族でも親友でもない自分が、どこまで立ち入ってよいのか
問題の核心との距離感の取り方に悩みます。
遺言や遺産分割、相続税申告は
単に死亡で生じる「現象」の処理なので、それだけなら気が楽です。
でも、相続対策が必要なほど社会的に成功していても
プライベートや家族関係が、良好とは限りません(むしろ相反することも)。
認めたくない・許したくないのは、親の遺言や節税策ではなく、親の不公平な愛情とか。
寄与分や特別受益への不平不満は、その方自身の隠れた怒りや劣等感だとか。
逆に親の側が作る遺言の目的も、公平な相続目的ではなく、子の歓心を買うことだとか。
法や税の名の下に、自分の要求を正当化していても
それは単なる問題の置き換えで、心の叫びは違うところにあると気づいても。
士業の立場で対処できるのは、あくまで「現象」をどう処理するかだけです。
問題の「本質」は、他人では一生解決できない難しさがあります。
まとめ
一見さんの相続業務の「怖さ」の意味が、20代と今とで、変わったことについて書きました。
今は、他人の人生の根っこに触れるのは怖くても
思いを秘かに理解しながら、現象を滞りなく処理するのが、自分の相続業務だと心得ています。
これも成長だといえるなら、年をとるのも悪くないかも。
おかえりモネに半年間、なにかと励まされていたので、今はすっかりロス状態です。