「サクセスフル・エイジング」という言葉があります。
直訳すれば「幸せに年をとること」です。
心理学者のユングは、人生を1日にたとえ、40歳ごろを「人生の正午」と呼びました。
私は41歳のときにそれを知り
「よい」歳からの「降りていく生き方」/Living Planner
以来、「幸せな年のとり方」についてたまに考えています。
サクセスフル・エイジングの条件は
サクセスフル・エイジングのためには、一般的に
・ 健康
・ お金
・ 趣味
・ 人とのつながり
などが必要だと考えられています。
でも、仕事柄、多くのお客様と接し、プライベートな話も伺っていると
必ずしもこの条件を多く満たしている状態=幸せな年の重ね方、とはいえない、と感じます。
客観より主観。他人の基準より自分の気持ち
多額の遺産があり、子や孫にも恵まれているのに
辛いことばかりだとこぼす方がいれば
遺産分割や納税資金は大変な状況で、病院通いの毎日だけど
いつも笑顔で、私をねぎらう余裕のある方もいます。
もちろん、健康、お金、趣味、家族や友人は、あるに越したことはありません。
ただ、こういったパーツを1つでも多く集めることより
「幸福感を感じられる自分になる」ことの方が
幸せに年を重ねるためには、もっと大切だと思うようになりました。
あるのに、不幸
ないのに、幸せ
不思議な気はしますが
自分は条件を多く満たしているという「客観的な事実」より
それを自分がどうとらえるかという「主観的な評価」に目を向けること。
本当の自分に関心を持ち、自分らしさをつかむことが
幸せに年をとる秘訣なのではないでしょうか。
年をとっても「自分の役割」はあった方がいい
私は手帳に「憧れ女性リスト」をメモしていますが
リスト内に多いのが、日々の生活で出会った「年上の働く女性」です。
働く人生が長くなるにつれ、いろいろな職業の方のプロの技に感動しやすくなりました。
働くといっても、有償でお金を得る行為だけではなく
孫育てや介護、ボランティアや地域活動などをしている人も含みます。
自分が楽しむことだけではなく、
家庭内、さらには社会的にも、自分の役割を果たすことに価値を見出し続けることは
サクセスフル・エイジングにつながると思います。
もちろん、労働は苦行だし、定年後は余暇の時間、と考える人がいてもOKで
その人が幸せなら、それが一番です。
ひとりごと
と、ここまで書いて、この言葉を思い出しました。
しあわせは いつもじぶんのこころがきめる (相田みつを)
ファンでもないのに、なぜ?